数学ブログ

数学は、何のために何をやっているのか?

集合

 集合という言葉は日常でもよく使われるが、数学用語としての集合も物の集まりを表現する概念である。これは、新しい概念を定義するときに便利な概念で、極端な立場からは、「すべての数学的対象は集合である」とも言われる。数学における集合の役割には、「概念の定義」「濃度の比較」「数学の基礎」の三つがある。

基本的な用語

集合

 ある存在Aが集合であるためには、議論領域の各対象に対して、それがAに属するか、属さないかが確定しなければならない。例えば、「教室にいる全員からなる集まり」は、教室の出入り口に立って半身だけ教室に入れ、半身だけ廊下に出している人が、そこに属するのかどうかが決まっていないならば、集合とは呼ばない。
 何が集合であって、何が集合でないかというのは、注意を要する哲学的な問いであって、この点に関する思慮が浅いと、ラッセルのパラドックスのようなことが起きる。これは次の事象である。Xを、「自分自身を要素として持たない集合すべてからなる集まり」とする。このXが集合であるかは微妙な問題だが、仮にXが集合であるとすると、XはXに属するか、属さないかのどちらかである。前者の場合、Xは「自分自身を要素として集合」からなるので、XがXの要素ではないということになる。これはXがXに属することに矛盾する。後者の場合、XがXの要素ではないので、Xの定義から、XはXの要素だといえる。これはXがXの要素でないことに矛盾する。よって、いずれの場合も矛盾が生じる。

関数

 関数とは、その関数の定義域と呼ばれる集合が定まっていて、定義域の任意の元を一つ指定すると、何らかの対象を一つ指定する確定した対応である。関数を記号fで書くと、fによって定義域の元aに対応する対象をf(a)と書く。fの定義域がAであり、Aの任意の元aに対して、f(a)が集合Bに属する時、ff:A→Bとも書く。

 全射単射

 関数f:A→Bに対して、Bの任意の元bに対して、Aのある元aが存在してf(a)=bを満たす時、f全射であるという。Aの任意の元a, a’に対して、f(a)=f(a’)である場合がa=a’の時に限る時、f単射であるという。全射でも単射でもある写像全単射という。f全単射の時、fには逆写像f^{-1}が存在する。

濃度

 各集合Xに対して、Xの濃度|X|という量を割り当てる。これは、Xに含まれる元の個数を測るためのものである。集合AからB単射が存在するとき、|A|\leq|B|と書き、AとBの間に全単射が存在すれば、|A|=|B|と書いて、ABは同じ濃度を持つという。ベルンシュタインの定理から、|A|≦|B|かつ|B|\leq|A|ならば、|A|=|B|が成り立つ。|A|\leq|B|かつ|A|\neq|B|であれば、|A|\lt|B|と書く。自然数全体のなす集合をN, 実数全体のなす集合をRと書くと、|N|\lt|R|である。また、代数的数の集合をAとすれば、|A|=|N|であることが示せるので、|A|\lt|R|であり、このことから、Rの中には代数的数でない数、すなわち、超越数が存在することが証明される。

空集合

 要素を一つも含まない集合。\emptysetで表される。デデキントもカントルも、空集合は集合として認めていなかった。

デデキントとカントル

 初期の集合論の建設を担ったのは、デデキントとカントルである。この二人はよく文通していたが、興味の方向は異なっていた。デデキントは、可換環のような「構造をもった集合」に興味があり、「数とは何か?」という自然数論的な問題を考えた。カントルは集合の濃度という量を考え、「連続とは何か?」などの無限論的な問題に取り組んだ。
 カントルは、自然数の濃度よりも直線連続体の濃度が大きいことを示したが、当初、集合の濃度は直線、平面、空間の順で上がっていくと考えていた。その後、彼は直線上の点と平面上の点の間に一対一対応が存在することを発見すると、次元の概念は意味を失ったと考えて、大変興奮し、デデキントにも「目には見えているが、信じられません」と手紙を書いた。デデキントは、その数学的内容の正当性を認めつつも、直線と平面が一対一に対応するのは連続性を考慮していないからであって、一対一かつ両連続な対応によって空間を分類することにすれば、直線と平面は区別でき、次元の消滅は起こらないだろう、と返した。ちなみに、この「次元の位相不変性」を初めて証明したのはブラウワーで、1910年の仕事である。

数学を空集合で再現する

 現代では、集合論には数学の基礎としての役割が認められている。これは、全数学を集合論と論理学に帰着させる観点によるもので、これは、ZFCのような公理系に基づいて、数学を空集合のみを用いて再現することによって行われる。

 ラッセルのパラドックス以降、何が集合であるのかをはっきりさせようということで、集合論の公理系が整備されていった。そのうちの一つがZFであり、これに選択公理を付け加えたものがZFCで、現在、多くの数学者は「自分はZFC上で数学をやっている」と思っているだろう。普通は、どの公理系においても、存在論は次のような構造を持つ。まず、初期設定として、基本的な要素あるいは集合を導入する。これを原子要素と呼ぶことにする(※ここだけの用語である)。これは、原子論における原子のような存在であり、他の全ての集合は原子要素の組み合わせによって得られる。次に、「すでに存在が認められている集合を根拠にして、新しく何か集合の存在を主張する原理」を設定する。これを構成原理と呼ぶことにする(※同上)。この原子要素と構成原理とが、公理的集合論存在論を決定する。例えば、1,2,3を原子要素としよう。この時、構成原理によって\{1,2\}\{2,3\}といった集合を作ることができ、ここから、さらに、構成原理によって\{\{1,2\},\{2,3\}\}\{1,2\}×\{2,3\}のような集合を作ることができる。このようにして、原子要素から次々と再帰的に集合を作っていくのである。
 ZFC集合論では、原子要素は空集合ただ一つである。よって、すべての集合は、\{\emptyset\}\{\emptyset,\{\emptyset\}\}\times\{\emptyset\}のように空集合を組み合わせた形をしている。この理論でどのように数学を再現するのか?例えば、自然数を構成するには次のようにする。
 0:=\emptysetと定義する。次に、1:=\{0\}、つまり1=\{\emptyset\}と定義する。その次は、2:=\{0,1\}=\{\emptyset, \{\emptyset\}\}と定義する。以下、同様に、nまで定義されているときにn+1\{0,1,...,n\}と定義する。
 このようにして、すべての自然数空集合だけで定義されるのだが、有理数の集合や実数の集合も公理を巧みに使って定義でき、数学に必要なものはほとんど再現できる。

数学の基礎

 前述のように、多くの数学を空集合で再現できるため、集合論は数学の基礎であるとか、すべての数学的対象は集合であるとか言われるのであるが、これは間違いである。例えば、前述のやり方では0=\emptyset1=\{\emptyset\}として0や1が定義されるが、本来の意味を考えれば明らかなように、0と空集合、1と\{\emptyset\}は異なる概念である。さらに、\emptyset\in\{\emptyset\}は成り立っても、0\in 1は成り立たず、そもそも、0や1は集合ではない。このように、「空集合による数学の再現」では、数学的対象そのものを構成するのではなく、それらと似ているものを作って、それと数学的対象を対応させているのであり、そうして作られた模型は、数学的対象が本来持っている性質ではない、余分な性質(例えば、0\in 1)をも持っているのである。これは、具体物である「1本のニンジン、2本のニンジン、...」が抽象的な「1,2,...」とは異なる存在であり、後者が持たない性質を前者が持っている、という事象とある意味同じ現象である。